心の土台

ある教育研究者の方とお話をする機会がありました。

その方は、長年、高校の教師を勤められ、自分の学校だけではなく、広く地域の子どもたちのためにつくしてこられました。高校教諭を引退なさった後も、教育についての研究会を立ち上げて、精力的に活動されています。

その方が高校の先生を選んだ理由は「子どもたちが社会に出る前に教育ができる、最後の大切な場所が高校だから」。就職にしろ、進学にしろ、高校を卒業した子どもたちは、今までよりも厳しい世界に足を踏み出していく。その時に、自分の力で前に進むことができ、幸せに生きる力を持った子にして、送り出してあげたい。

そのような願いで教育に携わってこられました。なんて素晴らしい先生でしょう!

ほとんどの子どもは義務教育と高校という長い教育を受けますが、その最後の3年間に、そんな先生に出会えた子どもたちはとても幸運だと思います。

ただ、その先生はおっしゃいました。高校生になって変われる子どもは、じつは幼児期や小学校の時期に、しっかりと愛情をうけて人間の基礎ができあがっている子だけだと。

お話をお伺いしてわかったこと。それは、子どもの心の育ちを考えた場合、心の土台は幼少期に固まってしまうので、思春期以降に変えるのは難しい、ということです。

とすれば、幼少期からの心の育ち、心の健全な発達がとても大切になってきます。昔から「三つ子の魂百まで」と言われていますが、先人の言葉はやはり間違いではなかったんですね。

子どもたちが成長して、良識ある健全な社会人として生きていく力。誰とでも仲良くなれて、自分の力で世の中を生きていける力。心の根っこにある強さや明るさは、高校生になってから急に身につくものではないようです。でも、幼少期から家庭と学校で、本当の愛情をもって子どもの心を育めば、どの子にもしっかりと身につくことでしょう。

子どもの心の育ちは、家庭と学校で作られます。それぞれの年齢には、それぞれに応じた発達段階がありますが、その中にまた、個人の性格や発展段階があります。ですから、それぞれの子どもにあわせた心の育ちを、両親と先生が力をあわせて、うまく導いていかなくてはならないのです。

幼少期の子どもにとって一番大切なことは、「自己肯定感」です。自分の存在を無条件にすべて受け入れてくれる存在がある、ということが、大きな安心や自信につながります。また、それによって、失敗を乗り越えてチャレンジする力も得られます。

人は、自己存在の基盤がなくては生きていけませんが、その基盤は他人によって認めてもらうことによって初めて手に入れることができます。「あなたはかけがえのない大切な人だよ」という周囲からのメッセージが、人が生きていく上での自信や強さの源になるのです。

そして、愛情をうけて育った子どもは、自分もまた人を愛することができます。そこではじめて、「他者とのかかわり」がきちんとできるようになります。誰かときちんとかかわり、つながり、そこに喜びを見いだせる。これが人が幸福に生きていく上で、欠かすことのできない大切な力です。

人の幸せを自分の幸せとして喜べる心。自分のためでなく誰かのために頑張る心。その素晴らしさを知ること。これらは、そのまま仏教の菩薩の修行であり、慈悲の心です。これらの大切なことはすべて、幼少期に学ぶべきこと。そうすれば、幸せな人生を歩むための心の土台ができるのです。

本当に大切な幼児期です。保護者の方と二人三脚で、それぞれの子どもの心をしっかりと育んで参りましょう。

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子どもの学び

ある日の午後、クラスから職員室に戻ってきた先生が、とても嬉しいそうに話し始めました。

「今日ね、作品展のお人形をクラスで作ってたんだけど、Aちゃんがね、もうすごいの!どんどん自分で工夫して作りこんでいって。後ろに髪をつけたりしてすごくかわいいの!あまりに夢中だから、時間が終わっても『やってていいよ』って言って、とことんやらしてあげちゃった」。みんなでAちゃんのことをほめて、盛り上がったひとときでした。

子どもたちが何かに夢中になっているとき、その子の中では、好奇心と知性がフル回転しています。すさまじい吸収力で学び、学ぶ喜びを感じているのです。

ですから、そんなときはできればとことんまでやらしてあげるのが一番。大人の理屈やクラスの事情などで中断させるのは好ましくないのです。

「あそびが学び」、クラス活動や一斉保育の学びも大事だけど、一番大切なこの根本を忘れないようにする。私はいつも、先生たちにそのように伝えているのですが、うちの先生たちは私が心配するまでもなく、十分にわかって実現していてくれているなぁと、とても嬉しくなりました。そして子どもの喜びに深く共感して、自分のことのように喜んであげるその先生をとても素敵に感じました。

何かに興味を持ってはじめたとき、とことんまでやらしてもらえたら、その子の中には、やりきった充実感と満足感がひろがり、頑張ることの素晴らしさと幸福感を知ることができます。

実際、私にも、大人になっても忘れられない幸せな思い出があります。

小学校3年生の図工の時間。紙を使って好きなものを作る工作の時間に、私は当時好きだったアニメの乗り物を作りました。作っているうちにどんどん面白くなってきて、どんどん大きくなって作りこんでいって。どんな工夫をしたか、今でも覚えています。そして、図工の時間が終わって次の授業が始まるのですが、あまりにも嬉しそうに作っていたからでしょう、担任の先生は、そのまま作らせてくれたのです!

低学年なので図工専科の先生でもなく、図工室の授業でもなかったので、そのようなことができたのでしょうが、私ともう1人だけは、別の授業が始まったのに、ずっと作らせてもらいました。このことは何十年もたった今でもずっと鮮明に覚えています。

ひとつのことに懸命にとりくむことの喜びや充足感は、ずっと忘れられない経験になるのです。

小学校というカリキュラムの中にあるにもかかわらず、子どもの育ちを最優先して型破りな授業をしてくれた先生に、今になって心から感謝と尊敬をしています。

そしてもうひとつ大切なことがあります。

それは、自分のやることや頑張りを認めてもらえると、自分が認められたという喜びと幸せを感じ、自己肯定感が育まれるということ。

ほめてもらい、認めてもらうと、心のなかに、とても幸せな思い出が刻まれます。この幸福感と、やりきった満足感、充実感、達成感などが、これからの人生において「学ぶ」ということを実行するさいの核になるのです。

この「核」があるかないかで、今後の子どもの学習に対する姿勢は大きくかわってきます。

英語や習い事、たくさんあります。でも、知識やスキルは、子どもにはあまり必要ありません。大切なことは、習い事を通じて何を学ぶか、ということですが、もっとつきつめて言えば、「学ぶ喜びと充実感」と「自己肯定感」だけを学べばいいのです。

それぞれの子には、それぞれスイッチが入る瞬間があります。何かに好奇心をもって、その子の知性が動きはじめたとき、それを見逃さずに興味を盛り上げて、うまく学びへ導くことができるのが、幼稚園の先生です。これは幼児教育をきちんと学ばないと、なかなか難しいことです。しかしながら、本当に大切なことですから、幼児教育者は日々努力をして研究しています。

そして、知性が躍動して子どもがあそびに集中しているとき、とことんまでやらしてあげられるのが、幼児教育を行う「幼稚園」のいいところです!子どものあそび=学びを一番大切にする。子どもの学びのきっかけを見逃さないで育てていける。慈光幼稚園はそんな幼稚園であるように、すべての先生が毎日頑張っています!

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今年度の半分が過ぎました

二学期に入り、はやくもひと月がたちました。四月からはじまった新年度から、ちょうど半分が過ぎました。

この時期になると、子どもたちとの楽しいクラスも、なんと半分が終わってしまった!

と、焦りや寂しさなどが出てきます。

でも、考えてみれば「何を今さら」ですよね。

四月。新しいクラスの新しい仲間たちが集まります。毎日みんなで仲良く、楽しく過ごす時間は、当たり前ですが、最初からもう、カウントダウンがはじまっています。

一日、一日、みんなで過ごせる日は減っていくのです。半分になって、まるではじめて気づいたかのように焦るのは、話がちがいます。

ですから、新年度にはいつも、私は先生たちに言います。

「今日から、このクラスで過ごせる日々は、毎日減っていきます。どうでもいい日なんて一日もありません。今日しかない、今しかないと思って、一瞬一瞬を大切に、全力で子どもたちに向きあって過ごしましょう!」

一瞬一瞬に心をこめて、大切にする。

今日しかないとしっかり理解して、心をまっすぐに頑張る。

これは仏教の基本的な教えでもあります。

そして、幼児教育や子育てにおいては、この「一瞬一瞬」がとても大切になってきますが、それはまた別の機会に記したいと思います。

かけがえのない大切な一日を、今日もともに頑張りましょう。

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