お彼岸に思う

お彼岸の時期ですね。お墓参りに行かれるかたも多いのではないでしょうか。

実はお彼岸はご先祖さま参りだけではなく、仏道修行の時期でもあります。暑さ寒さもおさまる気候の良い時期に、仏様の教えを守って頑張ってみましょう、ということです。

仏教ではいろいろな修行がありますが、お彼岸の修行では「菩薩の修行」というものが大切です。

「菩薩」は、もともと仏になるための修行をする人、という意味です。いろいろな有名な菩薩様もいらっしゃるのですが、わたしたちでも、修行をして仏に近づこうと頑張れば、菩薩の一員です。

その菩薩の修行はさまざまですが、根本的に大切なのは「自分ではなく誰かのために頑張る」ということです。

自分以外の人の幸せを喜び、自分以外の人のために頑張れる心が、菩薩の心。

大人になって、今の日本のような競争社会にいると、なかなか「人のために」ということはできませんよね。

でも、子どもたちを見ていると、人間にはやっぱり「菩薩の心」がしっかりとあるということがわかるのです。

園庭には、四季折々の花や木の実、きれいな石が落ちています。子どもたちは、よく楽しそうに宝探しをしています。

そして園庭にいる先生に、ゲットした宝物を見せにきてくれます。

「見て見て~。いいでしょ⁈」「ほんとだ!いいね~、よく見つけたね!」

そんなやりとりの後は、ほめられことが嬉しくて、子どもたちはますます宝探しに熱が入ります。

でも、年長さんくらいになると、違う反応が起きます。先生が「いいなー、すごいなー」と言うと、必ずこう言ってくれるのです「ひとつあげようか⁈」。ひとつしかないときは「じゃあ先生のも探してきてあげる!」、場合によってはたったひとつしかなくても、それをくれるのです。

つまり、自分のために宝物を探し、自分で手に入れるのも楽しいけど、先生や友達にプレゼントして、「ありがとう」って言われたり喜ぶ顔を見るほうがもっと楽しくて幸せだ、ということに気づくのです。

プレゼントされたエプロンのポケットいっぱいの木の実や石。どんどん職員室の机の引き出しにたまっていき、見るたびに、とてもあたたかい気持ちにしてくれます。

自分のためでなく、誰かのために頑張れる。誰かに喜んでもらえることに幸せを感じることができる。

人には、そんな素敵な心がある。菩薩の慈しみの心がそなわっているということを、子どもたちは教えてくれるのです。

日々の暮らしの中で、心がつらくなったり、重くなったり。大人になると、なかなか心が晴れる日ばかりではありません。でも、私たちの中にある素敵な菩薩の心が顔を出すように、心の修行を致しましょう、というのがお彼岸の修行です。子どものように素直で素敵な心に、少しでも近づけますように。そんなことを思ったお彼岸でした。

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